|
人が罪を犯した場合の動機をが、裁判で明らかになると期待することがある。 この期待を裏切る裁判が多い。 では、裁判で被告人の動機が明らかになるかどうかを考えてみたい。 この場合には、被告人が真犯人だったとして。 例として渋谷の夫殺害、死体バラバラ事件。 (この裁判の経緯や弁護方針などを考えているわけではありません。 あくまでこの記事を読む人に、裁判関係者をイメージしてもらうためです。) 警察や検察官の立場から、犯人の動機をどうとらえるか? 警察や検察は事件事故が発生すると、その事件から現場や関係先に存在する物を調査する。 その調査結果に基づいて、犯人を逮捕する。 犯人を逮捕し、その調査結果から犯人に対して「お前が犯人だ」ということを示し、同意させる。 そして事実を聞き出しいわゆる「供述調書」を作成する。 この「供述調書」。犯人の動機が含まれているだろうか? 警察や検察は「犯人を逮捕し、裁判にかける」ことを目的としている。 裁判の場において、検察官は「犯人の動機を明らかにして動機によって情状酌量を求めているか?」って考えるとなかなか判らない。 もちろん、求刑内容が最高刑でない限りは検察官の「情状酌量」が明らかに存在する。 では、動機が検察の手によって明らかになるか?って考えてみる。 動機を知るためには、犯人が心を開いていないと聞き出せない。 警察は「送検する」役割。 しかも事件は多い上に、送検するまでの時間が限られている。 人が心を開くには、時間がかかる。 心を開くかどうかは、心を開いて良い人かどうか?ってことから始まる。 さらにお互いに利害関係があっては、さらに時間もかかる。 まず、警察で心を開く人は少ないだろう。 検察も同じかもしれない。 (1)警察と検察に、心を開かない可能性がある。 では、弁護士。 本当に心が開けるか? 接見時間は限られている。 この限られた時間の中で、人間関係を作ることは難しい。 多くの時間を一緒に過ごした「友人」ですら心を開けるかどうかは難しい。 ましてや、自分の利害を任せる弁護士。 「友人」以上に慎重になる。 (2)弁護士にも心を開かない可能性がある。 この(1)、(2)を考えると裁判の場で、被告人の心が明らかになる可能性には疑問の余地が残る。 その上、「渋谷の夫殺害、死体バラバラ事件」では精神鑑定なるものが。 私は精神鑑定を行う職業ではないので、そのプロセスについては全く判らない。 この事件の場合には、さらに複雑。 ただ、判ることは裁判の場において「被告が心を開いていない」可能性がある。 ましてや「動機」なるものは判らない可能性がある。 「裁判で被告人の動機が明らかになる」ってことに期待しすぎることは、かなり無理がありそうだ。 私が犯人だとしても、動機はわからない可能性がある。 私が仮に罪を犯すとしても、それは単純ではなさそうだし。 いろいろな出来事などの積み重ねになりそうだし。 友人との間でお互いのことを大切に思っていても、何気ない一言で誤解を生んでしまう。 その誤解が思わない方向へと一人歩きすることがある。 最近、私もそういった経験をした。 私の思いも、友人の思いも同じだったと思えるのに、ついつい友人の声に耳を傾けず思い込んでしまった。 ただ、幸いなことに誤解は解けた。大切な友人を失わなくて良かった。 些細なことですら、友人を無くすこともある。 誤解が解けるまでに時間がかかった。 (誤解が解けたと思い込んでいるのは私だけかもしれないが。) 裁判には、こんなに時間をかけてはいられない。 よく裁判で「反省の気持ちがない」って言葉が聞かれる。 裁判期間で反省できるなんてことも、妄想かもしれない。 実際に受刑している中で、反省は時間をかけて行うもの。 刑罰は、反省のためにある。 決して犯人に嫌がらせをするためにあるわけではない。 そういう視点にたつと、死刑はおかしい。 懲役100年っていう考え方のほうが、この視点からは自然かもしれない。 ただ、100年間よりも「犯人がどう反省するか?」っていう運用面に意味がありそうだが。 |
| << 前記事(2008/05/06) | トップへ | 後記事(2008/05/25)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
一般人さん。今日は。 |
しんちゃん 2008/05/13 21:13 |
しんちゃん。コメントありがとうございます。歯磨きの場合だと、「習慣を守る」ということが動機でしょう。歯磨きを習慣としている人が、その「習慣を破る」ときにはより明確な動機があると思います。破るなりの理由があるからだと思います。「法律を守る」ということに明確な動機を見出すことにはなかなか自身でも難しいですね。「法律を破る」と言われると、動機が明らかになってきます。その動機を見つめなおして、その後でどう生きるか、どうあるべきかを問う時間が刑務所の役割だと思います。そういった意味では、情状酌量は受刑中の経過を観察して、再度判断するべき問題かも知れませんね。 |
一般人 2008/05/14 20:55 |
一般人さん。今日は。 |
しんちゃん 2008/05/14 22:29 |
上記コメント6行目の「生じます得ます」は「生じ得ます」の誤りでした。 |
しんちゃん 2008/05/14 22:35 |
事件の内容によっては、刑期を裁判で決定する事自体に不自然さを感じます。 |
カラ 2008/05/15 01:05 |
しんちゃんさん。ある特定の個人を見た場合に「歯磨きをしない」という視点から自身で気づくことがある。という意味合いでコメントしたのですが。自身がなぜ「歯磨きを習慣とするか」の答えを探すには、「歯磨きをしないケース」を自分が考えることで、容易に理由を推測することができます。理由がひとつとは限りません。ただ、歯磨きをなぜ習慣としているかの理由は少しずつ明らかになります。 |
一般人 2008/05/15 19:02 |
カラさん。 |
一般人 2008/05/15 19:08 |
一般人さん。今日は。 |
しんちゃん 2008/05/15 22:22 |
まずは、自らの心を見てみることが可能かどうか?ってことでしょうか? |
一般人 2008/05/16 23:25 |
一般人さん。今日は。 |
しんちゃん 2008/05/17 08:08 |
3行目、追求じゃなくて追究でした。誤字です。 |
しんちゃん 2008/05/17 08:10 |
逆に、心に支配されている我々が「支配者」の正体を知らないということは「潜在的な犯罪者」といえます。やらないのはただ抑制してるだけです。例えば、欲しいものがあっても盗まないのは、本物ではありません。大災害時に略奪(生き延びたいから)するかもしれません。だから、条件さえ整えばやる可能性があるのです。 |
しんちゃん 2008/05/17 08:22 |
上記「抑制」は誤解するかもしれないので「恐怖感などの別感情によって」としたほうがいいでしょう。勿論「抑制」もありますがそれは理性的(不完全)です。しかし恐怖や不安でやらないのならまるで理性的ではありません。 |
しんちゃん 2008/05/17 08:29 |
心理学とは一般解を求めています。 |
一般人 2008/05/23 23:05 |
理性とは一般解でしかありません。 |
一般人 2008/05/23 23:12 |
「個別の現象を一般化する試み」が科学的営みであって、その意味では一般解も特定解も相対的なものでしかありません。双方仮説といった方が適切かもしれません。 |
しんちゃん 2008/05/24 08:11 |
上記「一般解は存在しない」の証明方法だと同様の論法で「一般解は存在しない、のではない」も証明出来てしまいますね。 |
しんちゃん 2008/05/24 08:22 |
まず、科学的営みとは科学ではありませんね。あくまで「的」。つまり科学と同じような手法を特定のものに当てはめてしまうことです。 |
一般人 2008/05/24 12:22 |
数学ですら、本来の定義を忘れて、「xxxの予言」なるものがあります。ある予言については、私は最初の定義と同じ定義内容を表現を変えているだけとしか考えられないものが。最初の定義から考えると自明なのです。愚かな数学者たちと思います。なお、台風の進路は学問が発達しても、決して100%にはなりません。科学的という「的」が入るからです。 |
一般人 2008/05/24 12:22 |
いきなり一般解だと!私流に解釈すれば、それは天才たちのなせる技でしかありませんね!公理から演繹する数学の世界ですら、特定の現象にあてはまる論理を拡大して、一般的な定理を推測したり、導いたりしてます。「××予言」とは何を指しているのか不明ですが、予測された定理の証明がなされない限りそれを「○予想」というだけの話です。 |
しんちゃん 2008/05/24 19:28 |
私がしんちゃんの頭をたたくとして、1mmずれようがすれまいが、何回でも頭をたたくことはできますね。しんちゃんが逃げるという特殊な条件を除けば。誤差などは、何を目的として測定するかです。科学は100%で科学です。100%でないものは、「科学的」です。 |
一般人 2008/05/24 22:33 |
なーんだ∞のことを出したので、前のコメントの意味がわかりましたよ。あなたは現代数学を前提に語っている。私は18〜19世紀の数学を語っていた。 |
しんちゃん 2008/05/25 08:35 |
それと「非科学」は「科学にあらず」という意味でその「反意語」を意味したのではありません。漢字は表意文字なのです。 |
しんちゃん 2008/05/25 08:42 |
私たちは現代に生きています。 |
一般人 2008/05/25 11:50 |
無限や数の概念は勿論太古からあります。しかし、そうした概念の縛りから自由になる方向性(無意味なもの)でいく数学が20世紀には生まれました。 |
しんちゃん 2008/05/25 13:13 |
「科学」は方法論ではないと思います。 |
一般人 2008/05/25 13:57 |
また、数学が抽象的に見えるのは、その扱っている範囲が広がっているのでそう思えるのだと思います。たとえば5次元。x,y,z,tの4次元は頭の中で想像できますが、5次元を想像するのは難しいですね。でもx軸に揺らぎ成分(1方向)があると5次元の想像は容易です。同じように考えると多次元に概念は存在します。万人が理解できると思われている数式をもってしても、しんちゃんには理解できない概念となりますね。そういった意味で「万人に理解可能な記述方法は存在しない」と思いますよ。 |
一般人 2008/05/25 13:57 |
いつ私が、「5次元を理解出来ない」といいましたか?勝手な判断はやめてください。それから人の文章をよく理解してください。「万人に理解可能」=「万人が実際理解する」ではありません。理解可能なのは、「論理」で記述されているからです。およそ、「論理」以外「万人の理解を可能」にするものはありません。しかし、それと実際に誰かが「それを学ぶ」ことを混同されるようじゃね。 |
しんちゃん 2008/05/25 15:00 |
では数学の何が抽象的なのでしょう? |
一般人 2008/05/25 15:22 |
数学そのものは抽象的ですよ。私が言っているのは「自然哲学の数学的原理」など、以前は物理、自然現象と不可分に研究された数学が、現在は「抽象的理論のみ」を扱う傾向になったことを(応用数学もあるが)、強調して抽象数学と言ってるのです。古代ギリシャなどは学者が様々なものを研究してました。ただ、将来的に現代数学が応用される可能性はあるとは思います。古代と現代の学者たちの違いを述べただけです。その点は表現の差はあれ、似たことを述べたようです。 |
しんちゃん 2008/05/25 17:18 |
数学は、自然現象と不可分ではないと思います。同じような思考が求められているだけで。「ピタゴラスの直角三角形の直角部の長さの面積の和が、長辺の長さの面積と同じ」(表現がよくないですが。)とは自然現象とは関係ありません。xの自乗とyの自乗の和が、zの自乗と一致する場合(実数)のx、y、zの関係を説明しているだけです。決して自然現象ではありません。しんちゃんが指摘したいのは、事象と数学とがかけ離れているように思える。ということではないでしょうか?私は事象を説明する道具として数学を捕らえています。したがって道具だけが先に進歩しても問題がないと思います。りんごが落ちるのは、引力ですが重力として扱っても1mくらい落ちることを考えるときには引力でも重力でも関係ないですね。宗教的な要素とは「地動説」と「天動説」でしょうか?私は事象(物)と観測点によっては、どちらでもよいと思います。物と社会を同一視する誤り(科学的の的)が宗教問題に発展したと思います。科学は地動、天動とは無関係だと思いますが。 |
一般人 2008/05/25 18:39 |
コメントを読み返してみました。 |
一般人 2008/05/25 18:57 |
そういえば、私が再定義と考えたのは「リーマン予想(Riemann Hypothesis)」です。12月の記事にとりあげましたが、そのときには素数に着目しすぎて、脱線してしまいました。虚数の定義から自明のリーマンの式だと考えています。1+1=2の世界での数学において、1+1=2を証明するなんてことに思えます。1+1=10の世界ではありえませんが。 |
一般人 2008/05/25 19:05 |
話が循環してきましたね。気づきましたよ。私は抽象論が比較的得意です。数学嫌いの人に必要なのが、多くの場合ピタゴラスの定理の場合の三角形なのですね。それが現代数学の専門書からなくなりつつあるということです。勿論個人的には、理論のみが先行してもかまわないと思います。単純に円の近似形のものは見えても、n次元空間の近似形(もしあるのなら)は想像するしかないのでしょう(私は想像しない方が分かります)。三角形の近似系の一つ、三角定規なら身近にあるわけです。本屋で数学の啓蒙書を見かけると、具象化(イラストなど)の極めです。 |
しんちゃん 2008/05/25 19:39 |
心の働きが難しいことをもって「科学たり得ない」は知的怠慢です。物理法則も数世紀の年月を要して「現代」のかたちになりました。 |
しんちゃん 2008/05/25 19:50 |
知的怠慢ということは、しんちゃん自身は自分の心をまずもって理解できていますか?自身が理解できないものを人に「知的怠慢」とはなかなか言えませんね。物理法則は、その取り扱う範囲こそ拡大して、あたかも発達したかのように思えますが、単に風呂からあふれる水の量を測ることで言えば、すでにギリシア時代から明確な科学として存在しましたね。心理もしんちゃん自身が自らの心を明確にできなければ、他の人には明確にできないということです。数学上の難問の種類によりますが、定義をしっかり見定めさえすれば、解けます。実は定義に縛られていることがあります。定義として扱える範囲がおのずと定まっているにも関わらず、拡張してしまう。拡張段階でその定義の範囲内かどうかの検証を行わないからです。したがって定義の範囲外のことに頭が及ばなくなってしまいます。本来は再定義なのです。古典力学が現代力学と矛盾なく存在しうるのは、その扱う範囲によって何を適用するかの違いですよ。 |
一般人 2008/05/26 18:45 |
一般人さん、知的「怠慢」と言いましたが「無能」とは言ってませんよ。人は死ぬまで「知的努力」をするものだと思います。私の今日の心の理解度を100とすれば、100%明確です。ただ、1年前は50くらいでしたね。明日100のままか、120になるかは分不明です。科学の営みそんなものです。ギリシャの哲人たち優れた業績を残しましたが、それ以前の人類の英知(言語の創造や発展、数の概念の発見等)がなければ決して成し得なかったでしょう。また、ギリシャの哲人たちの発見がなければ、古典力学がなければ、「量子力学」なども創出されなかったでしょう。 |
しんちゃん 2008/05/26 20:35 |
毎日が100でない人には、心がわかるわけ無いでしょう。毎日の自分に120が存在する可能性をかんがえれること自体が滑稽ですね。10割をこえる打率のバッターは存在しません。正規化の意味すらわからない人とこのような議論をしても仕方がないようですね。−無限大は正規化すると0の意味すらわからないんですから。しんちゃんは凡人か、知性の怠慢かいずれかですね。心がゆがんでますね。利益か人へのやさしさとどちらが大切ですか? |
一般人 2008/05/27 03:50 |
呆れましたね〜。打率と比較すること自体、詭弁です。どんなにバッティング打技術が向上しても、10割は超られません。それ以上に比喩も理解しないようだ。300%確実という100%の強調形も、あなたにとっては愚かもの発言なのでしょう。未来への夢も愚かなのでしょう。 |
しんちゃん 2008/05/27 07:58 |
中傷と取られるとは以外ですね。 |
一般人 2008/05/27 21:53 |
| << 前記事(2008/05/06) | トップへ | 後記事(2008/05/25)>> |